株式会社ネクステ
代表取締役 会長
山田 志延(やまだ しのぶ)
株式会社メモリーゴールド専務取締役
有限会社柏原ゴルフ練習場代表
略 歴 | |
1963年 3月 | 兵庫県丹波市生まれ |
1981年 3月 | 丹波篠山市の鳳鳴高等学校を卒業 |
1985年 3月 | 大阪学院大学経済学部卒業 |
1985年 4月 | 株式会社フジロイヤル |
1988年 9月 | 西日本テクニカル株式会社 |
1997年 1月 | 株式会社タイト・ワーク設立 |
2013年 4月 | 株式会社ネクステ代表取締役 |
2019年10月 | 有限会社柏原ゴルフ練習場代表 |
2020年 4月 | 株式会社ネクステ代表取締役会長 |
現在に至る |
ご挨拶(ネクステとの出会い)
ネクステとの出会い・・・・・・・それは、幼少期からの友人との再会と”絆”でした。
ネクステの創業に際し、私の幼少期からの友人であるA君が突然、『障害者の就労支援事業所を立ち上げたい』と、会社まで相談にやってまいりました。
その友人A君は、優秀な成績で地元の高校を卒業し、上智大学に進学、卒業後には一部上場の有名製薬会社に勤めていましたが、20代半ばで突然精神の病にみまわれたため、地元の丹波に帰省しアルバイトをしながら療養しておりました。当時を振り返ると、『学業は頗る優秀でスポーツ万能であるA君が精神の病で帰省して療養しているなんて絶対にありえない』と、信じがたい気持ちでA君の自宅を訪ねてみました。
するとA君は笑顔で出迎えてくれ、大学時以来の再会ということで幼少期から仲良く一緒に遊んだ昔話で大いに盛り上がりました。・・・・・・・そして、話の最後には’’信じられなかった”精神を病むこととなった経緯や症状などを詳細に話してくれました。今でも鮮明に記憶していますが、その時のA君は少し太ったものの本当に昔のままのA君でした。特にA君は、スポーツも万能でしたので中高と野球部に所属し、中1からレギュラーを獲得するほどの才能でした。再会後、A君には直ぐに私が友人達と結成している丹波市内の軟式野球リーグに入ってもらい、大活躍が続きました。しかし、それから半年も経たないうちにA君は私たちが想像することのできなかった病との過酷な戦いが始まりました。
A君はそれ以後も精神の状態が不安定になる度に入退院を繰り返し、5年、10年と年月だけが経過しました。そんな厳しい状態が続くと私たちは想像だにできませんでしたが、それがまさに現実でした。
その間A君とは時折、連絡を取り合っていましたので、私の運営する会社でお仕事に就いて貰った時期もありましたが、病状が深刻になる度に入院しなければならず、とぎれとぎれの勤務となりました。
A君はそのような不安定な状況が十数年続いていましたが、ある人との出会いを切っ掛けに、『自身のつらい経験を基に、今後の人生で『何とか障害者の方たちの支援となる仕事をしていきたい』という強い思いに駆られた末に私のもとを訪ねてきたのでした。私は自身が運営する会社にも数名障害のある方々に勤務していただいており、『少しでも力になれたら』という素直な気持ちだけで協力を引き受けさせて頂きました。それが、ネクステ”設立”と’’出会い”です。
ネクステには33年前(1987年)、私が以前の会社で入社受入れを担当させていただいた、愛媛県の今治市から単身赴任された、身体に障害のある方がグループホームに入所されています。今日も元気に作業で活躍いただいておりますが、リーマンショックの折には、彼のできる仕事が全く無くなってしまいました。彼の仕事がなくなる=住まいを失う、という厳しい状況下に置かれました。
彼に代わって直ぐに愛媛のご実家を訪ねましたが、ご両親は早くに亡くなられ、弟さんや親族の方々とも全くの疎遠になっていることが判明し、残念でしたが親族の方にすらお出会いすることが出来ませんでした。
また、同時に丹波市内の福祉施設や、就労支援事業所をあたってみましたが彼が’’障害者認定を受けていない”ということが原因で受け入れ先は全くありませんでした。
’’まさか受け入れ先がない’’・・・・・こんな理不尽なことが先進国である日本で当たり前に起こることに、驚いたと同時に怒りを感じました。
最終的にはーか月くらいの時間はかかりましたが、私の父が務めていた工場で3年間程お世話になり現在はネクステの貴重なメンバーです。
しかし、これは決して稀な事例ではありません。中には帰る家や身寄りが無いまま丹波で生涯を終える方もあります。
昨今、全国的に核家族化が加速する中、医療の進歩と共に超少子高齢化時代を迎え、『8050問題』はもとより、『高齢者の一人暮らしと孤独死』などは、さほど珍しいものではなくなっています。
個々の社会生活環境に大きな変化が起こっています。
このような観点からも、微力ではありますがネクステでは運営する全ての事業を通して、地元の方はもとより国内外問わず必要とされる数多くの方々に少しでも、寄り添い、出来る限り手を差し伸べられる真に心優しい会社であり続けてまいります。
株式会社ネクステ
代表取締役 社長
大槻 真也(おおつき しんや)
ネクステは、2012年の創業以来、障がいのある方の就労支援、生活支援、相談支援と、様々な人との出会いや、企業様をはじめとする関係機関のご理解とご協力をいただきながら、今日まで進んで参りました。
これからも、障がいの有無に関係なく、地域の中で「生きづらさ」を感じておられる全ての方を対象に、「共に歩む」というスタンスでのサポートを進めて参ります。「伴走型支援」また状況に応じて「伴歩型支援」と、共に同じ方向を向き、共に歩んでいくことを胸に、今後も地域の中で必要とされる拠点となることを目指します。
福祉業界には、まだまだ「できない」「無理」という支援者側からの一方的な決めつけにより、本人さんの可能性を潰してしまっていることがたくさんあるように感じています。「昔ながらの福祉臭さを脱する」ことが必要で、本当に「自分だったら」の目線で支援をすることが、私たちの目指す「地域生活支援」であると考え、その人がその人らしく生きていける地域社会の実現を目指します。